京都に来たので
墳活!墳活!墳活!墳活!
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蛇塚古墳
美大生時近くに住んでたのにこんな古墳あったんか!😳😳😳
京都府下最大、全国的にも有数の規模を誇る横穴式石室をもつ古墳。
古墳時代後期7世紀頃築造前方後円墳。
岩のデカさめちゃくちゃ
カッコいいホンマに!
ネットみてると予約したら
石室内入れるって書いてるんよねー
コレはかなり激アツ😳
今は見れるのか?予約するのに何か条件があるのかはわからないので気になる方は確認してみてください。
石室内に入ると広くなっている感じに見える
一部外が見えているようで
石室内が 外の光で
照らされているのが分かる
いやこれは
石室内から外を見上げたいだろ
どう考えても
蛇塚の名称は、かつて石室内に蛇が多く棲息していたことに由来するといわれている。
いやー!こういうことなんよね!
私は近くの芸大に通っていたし
なんなら一人暮らしで住んでいた
今なら古墳だとわかることが その時にはわからなくて 近くに住んでいても存在すら知らんのだよ。
こういうことなんよ!😖😖😖
せやから 気づくきっかけを作りたいんよ
私達が住む日本は
古墳に溢れている。
当時の自分達みたいに
みんな気づいてないだけ
本日も
十墳十色 でした
京都盆地(山城盆地)の西部、嵯峨野台地の南縁に築造された古墳である。名称の「蛇塚」は、石室内に蛇が棲息していたことに由来するという[1]。1920年(大正9年)頃までは墳丘の一部を残していたというが、現在までの宅地化によって墳丘封土のほぼ全てが失われている[2]。1936年(昭和11年)に京都帝国大学考古学研究室による調査が実施されている[2]。
墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向け、墳丘長は約75メートルを測った[2]。墳丘は現在までに失われたが、墳形の名残りは現在も周囲の宅地区画に見られる[2]。現在では、後円部の埋葬施設として巨石を用いて築かれた横穴式石室を露出する[1]。この石室は南東方向に開口し、全長17.8メートルを測り、石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村)にも匹敵する規模になる。石室内には家形石棺があったと伝わる[3]。
この蛇塚古墳は古墳時代後期の6世紀末から7世紀初頭頃の築造と推定され[3]、現存する京都府の前方後円墳としては最後期に属する。被葬者は明らかでない。嵯峨野地域では天塚古墳(約71メートル、国の史跡)・清水山古墳(約60メートル、非現存)・垂箕山古墳(仲野親王墓古墳、約75メートル)・蛇塚古墳などの前方後円墳を中心とする6世紀以降の後期古墳が分布するが[2]、これらは嵯峨野一帯を開発した渡来系氏族の秦氏の活動に関係すると見られ、主な古墳は秦氏の首長墓と推測されている。
石室域は1977年(昭和52年)に国の史跡に指定された。現在は崩落の危険があるため、石室内部が鉄枠で補強されたうえで石室の周囲はフェンスで囲われて施錠され、普段は出入りできないようになっている。
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古墳フェスはにコットの実行委員長であり、フェスを立ち上げた本人。
たくさんの人に古墳の魅力を知ってほしい。身近に感じてほしいと考えている。
「重要文化財”をもっと身近にカジュアルに!」と発信している。